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ピッチ外

教育商材と教育そのものの関係、のようなもの

    私自身もそうでしたが、自分が選手だったときに指導を受けた監督、コーチの精神論に反発するかのように論理化や合理化に重きを置くところからキャリアをスタートする若き指導者が高い割合で存在します。 国内外問わず勉強熱心な指導者ほどこの傾向にあります。   これ自体はある […]

関係の築き方

      「最近の若者は」という枕詞が古代ギリシャの時代から使われていたというのは有名な話です。   当然、私がティーンエイジャーのころもこの言葉とともに若者の態度を非難されることはありましたし、これは現代でもあります。   現代の若者批判なら「最 […]

指導者というもの

      私はよく道端や公共の交通機関などで倒れている人、あるいは今まさに人が倒れこんだという瞬間に出くわします。 パッと思い出せるだけで10件近くあります。 国内外を問わずです。   胸を押さえて苦しんでいる人に水を飲ませたり、倒れている見知らぬ人の見知ら […]

スポーツ解説者の役割

      先日、久しぶりにスポーツバーでサッカーの試合を観ました。 有料チャンネルによるJリーグ観戦です。   この情勢下におけるスポーツバーの状況を知っておこうと思ったから、と言えば聞こえがいいですが、主な動機は息抜きです。   入店前の検温やテ […]

連帯責任について

      今回は前回の「制限」に関わる話になります。   日本社会が西洋に比べて協調性を重んじる風土があることは日本人にのみならず、海外の人にも知られています。 協調性を大事にするのは日本のみならず東アジアのいくつかの国でも、程度の違いこそあれ同様だという話 […]

部活動は便利か

    日本の部活動というものを諸外国のスポーツ活動と比較したときに大きく異なるところはたくさんあります。 そもそも所属チームが学校単位で形成されているその体系化を説明すること自体がなかなか面倒で、そしてそれを知った外国人はたいてい驚きます。   東アジアのいくつかの国 […]

「実践的」の範囲

    これは約20年前のちょうど私がサッカーの指導を始めたころから日本でも常に論争の的になっていることですが、サッカー(球技)においてボールを使わない練習は是か非かという問題があります。   “非”側の指導者は「サッカー(スポーツ)は実践の中でしか成長しない」という考 […]

ストップ脳の扱い方

      教育のトピックにもう何年も前から上がってきている使い古された常識に「子供はほめて伸ばせ」というものがあります。 おそらく成人の日本人で、理論と呼ぶことすら仰々しく感じるこの考えを知らない人はいないでしょう。   20年以上前に初めて聞いたときには目 […]

素人の考えが大事なわけ

      工業化社会で生きていくのに便利なスタイルで教育されてきた我々日本人は、何かを創造することが得意でないと言われています。   私の同僚であり後輩でもある若い指導者にも 「せっかく自由に指導できるチームを一つ与えられているんだから、何かオリジナルのフォ […]

思いこみの使い方

      現代の日本社会の風潮として「ゆとり世代は使えない」といったネガティブな評価がある一方、その評価を下す側の世代に対しても似たような評価がゆとり世代から下されています。   今回は世代間差別の話ではありません。 私自身はゆとり世代の人たちは我々氷河期世 […]

有能な上司になる前に。あるいは無能な上司に当たってしまったときに。

    「完璧な人間なんていない」という言葉はおそらく普通の日本人の成人なら何十回何百回と聞いてきた言葉かと思いますが、一方で「人間だからこそより完璧に近づく努力を」、「自己成長を」という気概で物事に取り組み、「完璧な人間なんていない」という言葉をサボりとビビりの言い訳にしたくな […]

社会経験のない人間が教育業に携わることへの批判

    今回はサッカーという単一スポーツのことではなく、いや、スポーツという一分野だけに関わる話ではなく、学校教育に関する話をしたいと思います。   先に答を言っておくと、私は少し学校教員びいきです。   さて、タイトルどおりの批判がここ数年メディアを通して、 […]

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