「実践的」の範囲

 

 

これは約20年前のちょうど私がサッカーの指導を始めたころから日本でも常に論争の的になっていることですが、サッカー(球技)においてボールを使わない練習は是か非かという問題があります。

 

“非”側の指導者は「サッカー(スポーツ)は実践の中でしか成長しない」という考えのもと、その練習スタイルを極力実践的にした、あるいは実践から場面や面積を切り取った、いずれにしろやはり実践的な練習を好んで用います。

 

「ピアニストは練習でピアノの周りを走らない」という有名な文句も、この姿勢を後押ししているように感じます。

 

分かります。

「聞くだけで英語が話せるようになる」という1000兆%ウソの詐欺教材がありますが、英語は発話の練習をしない限り話せるようになりません。

スポーツも観るだけで上手くなることはあり得ず、やらなくてはいけません。

 

ただし今回は“やるか否か”ではなく“やり方”の話です。

ピアノの話は「英語を話せるようになるためには、リスニング練習では意味がない」、あるいは「特定のスポーツが上手になるためには、観ているだけでは意味がない」以上に因果関係のないものの例えであり、「やってはいるが(プレーヤーとして上手になるための練習ではあるが)ボールを使わない練習では意味がない」という意味までは包括できていません。

つまり「ピアニストはピアノの周りを走らない」は、(いるわけありませんが)「サッカーが上手になろうとしてグランドで一生懸命ピアノの練習をしている」選手を揶揄する程度しかできないということです。

 

という私自身も指導を始めたばかりの2001年から10年ほど前まではこの理論を良しとして、ウォーミングアップからフィジカルトレーニングまで全てのセッションにボールを用いていました。

 

これには若い指導者特有の古い考えを嫌う傾向が少なからず私自身にあったことが原因かもしれません。

 

答から先に言うと、そこから月日が経った今は「ボールを使わない練習」を、私は“是”としています。

 

イングランドやスペインのプロチームがそのタイプの練習を実際に用いているから、という事実だけに鑑みた意見ではありません。

私なりの持論があります。

 

筋肉や神経の刺激のために普段しないような動きをすることを肯定的に捉える考えがありますが、私は賛成しています。

練習のいくつかの場面で前転・後転・側転や逆立ちなどを入れたりする指導者も少なくないですが、これらはその考えに基づいています。

 

同様にサッカーなのにボールを手で扱う練習や、攻撃の方向が相反する二方向にあったりゴールが片側に2つずつあるタイプの練習の土台となる考えにも、この論理が幾分かでも入り込んでいます。

 

以前の記事で「意味のなさそうな授業にも成功のヒントは隠されている」と述べたように、一見因果関係が無さそうな目鼻立ちの良くない地味な作業の中にも大切なカギがあったりします。

スティーブ・ジョブスが書道をやっていたおかげでフォントというものを生み出したという話はあまりに有名です。

 

とはいえこれらは発見に関する話なので今回の効果に関しての例としてはあまり相応しくないかもしれません。

 

というわけで、ここで筋力トレーニングに関する話を少ししましょう。

 

ここ6、7年でメディアを通してすっかり(スポーツをやっていない)一般人にまで浸透してきた感のある筋トレのメソッドの一つに「初動不可理論」というものがあります。

 

その6、7年前、知人に「初動不可理論って知ってる?」と聞かれたことがありますが、その当時ですら元アスリートの私からしたら「20年前から知ってる」ものでした。

 

私は10代の後半の実に3年近くもの間、繰り返される腰の怪我に悩まされていた時期があって、今のようにインターネットという言葉すら聞いたことが無かったその時代、「メスを入れたら(選手としては)終わり」という(ある意味合いにおいてこれは今でも正しいと思っていますが)テレビで誰かが言った言葉を信じて、ひたすらに東洋医学での解決を探していました。

 

そして発症から3年近くが経ったころ知人から教えてもらった「プロサッカー選手も通っている」とか「3回通っても治らなかったらそれ以降は無料」という触れ込みのカイロプラクティックに片道2時間以上かけて通うことになり、そして見事4度目の通院で完治します。

 

通院3回以内での完治に自信を持っていた治療家の先生からしたら不本意だったかもしれませんが、初見で「60代並みの腰をしている」と評された私からしたら驚きと幸せに満ちた思いでした。

 

「怪我や病は医者が治すものではなく患者が治すもの」「そもそも怪我したり病にかかったりしないように本人が普段から努力するもの」という当たり前のことを分かっていなかった当時の私に院長の先生は食事に関することを教え、そして仲良くなったアシスタントの先生は何冊かの本を勧めてくれました。

 

その中の一つが初動不可理論を説いたものだったのですが、実は身も蓋もない話をすると現在の私は(特に器具を用いて)自重では作り出せない負荷をかけることによって筋量と筋力を身につけることをあまり歓迎していません。(正確には、その前にやるべきことを飛ばしているアスリートが多いことを危惧しています。)

 

が、その本から「正しい筋力トレーニングは柔軟性をも手に入れることができる」ということを学び、その本に書かれていた筋トレの正しいフォームをストレッチに応用、発展させた私は日々の日課にそれらを組み込むことにしました。

そしてそのおかげで第二次成長期を迎えて以降最大の柔軟性を手に入れることに成功します。

 

これは1990年代半ばの出来事ですが、その本から応用、発展させた私のストレッチの「やり方」と理論は、令和に出版されたその筋の専門家が説くストレッチ本などでも正しいことが確認できます。

今回のテーマとは若干外れて「ヒントはどこにでも転がっている」という、再三申し上げている例にも当てはまります。

 

また勧めてもらった中の別の本には

「特定の動きにパワーを持たせたくて筋トレをする場合、その動きを必ずしもなぞる必要はない」

という指摘がありました。

 

例えば、投力を伸ばしたい野球選手が肩を鍛えるのに、(チューブなどを使って)ピッチングと同じフォームで筋トレをする必要はなく、ベントスタイルやアップライトロウなどの「引く」動作の筋トレをしたりします。

これは前方へ物(ボール)を投げるために腕を上から下へと振り下ろす動きと似ても似つきません。

反対の動きに近いくらいです。

しかし効果は認められています。

 

タイトルすらも忘れてしまったその本の出版年がいつだったかは覚えていませんが(少なくとも1990年代前半より前)、本の中では

「槍投げの選手は投力を鍛えるために筋トレをするのに、野球選手は槍投げをする?」

という揶揄とともに、プロ野球のキャンプシーズンに槍投げをしているピッチャーたちのトレーニング風景が写真で紹介されていました。

 

アップライトロウなどの全く関係なさそうな動作が投力を向上させる例を用いて私がここで説きたかったのは、実践的でなさそうなトレーニングが実践での目標達成に効果がある可能性です。

この手のトレーニング論は時代とともに変化していくので、実は槍投げにもひょっとしたら効果があるかもしれない可能性についてはここでは一旦置いておきます。

令和の世のプロ野球事情がどのようなものになっているかも知らないことですし。

 

さて、いずれにしても私が支持したいのは「ボールを使わないトレーニングを“是”とする考え」の方であり、ピアノの周りを走ってもピアノは上手になりそうにないものの、特定のスポーツにおいて効果的な体の使い方を習得するのに、つまり下手を固めないためには、時にはボールを使わない練習も必要であるという考えであります。

 

そういえば私が中学生のころに見た映画「旅立ちの時」で主人公のリバー・フェニックスはピアノの練習のために、板切れに鍵盤の並びがただ描かれただけの「模擬盤」を本物のピアノ代わりの道具として練習に使っていました。

 

貧しさが理由でしたが。

まあ、映画の話ですが。

 

とはいえ私にはいい示唆に思えます。

 

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