主婦の会話に学ぶ

 

 

スポーツ指導者という職業柄、現場でのコーチング、スタッフ同士のミーティング以外の時間、詳細に言えばサッカーノート等を使った準備や振り返り、分析や勉強の時間のほとんどを私は一人で過ごすことになります。

そして一人仕事の多くの割合を、元来それほど意志が強くない私は、カフェやファミレスなど外で行うことにしています。

自宅だとサボってしまうからです。

個人の仕事場に公共のスペースを選んだ以上、隣にどういった種類の人がやって来るかは当然選べないわけで、その「隣にやって来るお客さん」次第で仕事のはかどり具合も変わってきます。

新聞や読書にふける、老後をもて余した“おじいちゃん”(一人客は老若問わず圧倒的に男性が多い)が来たときは当たりです。
はかどります。

誰も来ない時はもっと当たりです。
集中できます。

先日は40代後半と30代前半と思しきカップルが隣のテーブルにつきました。
まるでお互い初めて出来た恋人かのような、あるいは高校生カップルかのような熱愛ぶりで、言葉を間違えればバカップルぶりで、聞こえてくる会話の微笑ましさ、見る人が見れば気持ち悪さを娯楽という観点で捉えた場合は大当たりだったものの、仕事への集中という意味では外れでした。

ついつい私はこの手の微笑ましいペアに対して「世間体なんかに負けるなよ」とか「愛し合う者どうしなんだから誰の目も気にすることなんかないぞ」という余計なお世話な応援を胸中でしがちで、仕事がおろそかになります。(それでも私は総体的に当たりだと思ってしまうのですが)

本日はどこにでもいそうな感じの主婦が二人、隣にやってきました。
片方がよく喋り、もう片方が聞き手に回ってよく相槌をうつタイプのコンビです。

話し手の旦那の愚痴から巡った電子タバコの話が膨らむかと思いきやすぐにしぼみ、一通り姑や息子の話題に触れた辺りで、こちらも頑張って仕事へとフォーカスを戻したのですが、数分後、何の話の流れでか、その話し手が若い頃に定期購読していたとあるファッション誌を捨てずに全部とっておいてある、とのセリフで私の意識は二人の会話に戻されました。

これに対して相槌役の返しは
「すごーい!なかなか出来ることじゃないよー!」
というものでした。

ほほう。

すごい。なかなか出来ることじゃない。

反芻して改めるまでもなく私の意見は「すごくない」ですが、とりあえず男には「すごーい」と「こんなの初めてー」を言っときゃOKな水商売ノリとは少し異なり、彼女の相槌にはそれなりに抑揚と体重が乗っていました。

この、すごくないことに感情をこめて『すごい』と伝えるだけでなく『なかなか出来ることじゃない』を付け加える気配りの能力というかコミュニケーション能力に対して、何度も使い古された論調でありますが「女性ならでは」「さすがは女性」の枕詞とともに称賛の念を胸中に抱きかけましたが、いや待てよ、ということは言われた側も女性だから、この「すごーい」がすごくないと思っている「すごーい」であることに気づいている可能性も大、なんてことを思うよりも早く

「うん、保管するのも結構大変なんだけどね。まあ、興味の無い人からしたら馬鹿みたいなことなんだろうけど」

というまんざらでもない反応を見せました。

断っておきたいのですが、私はこの彼女の趣味嗜好や価値観や態度といったものを馬鹿にしていません。
私が歩んでこなかった種類な人生と人生観には肯定も否定もありません。
「すごくない」と思ってはいるものの、何なら実はちょっと彼女に興味すら沸いています。

この二人のやり取りで私のセンサーに引っ掛かったのは「すごーい」の後に「なかなか出来ることじゃないよー」をそれ相応のテンションで付け加えた聞き手の優しさや気配りであり、一方、話し手の“まんざら”は、受け手の高い気配り力が故の“真のまんざら”なのか、あるいは相方が一個乗っけた思いやり「なかなか出来ることじゃないよー」に対する “気配り返し”の“偽まんざら”だったのか、といった疑問辺りのところであります。

この気配り、気づきに関する能力には同じ性別内でももちろん個人差があり、多分に私見が含まれていますが、指導者になるタイプの人間は話し手になることを好み、あるいは発信者になることを好み、故にオーバーコーチング/ティーチングのような種類の問題が起きるのだと思います。

サイトまで作って物事を発信している、他ならぬ私自身がこの手のタイプであります。

スポーツインストラクターにとどまらず、例えば政治家や活動家や教師にとって、いくらきれいごとを言っても発信は教育や指導という活動の大きな割合を占めており、指導者になりたいと思って指導者になった人間が、より優秀になるがために努力してインプットしたことを、もしくは自分がクリエートしたことを、今度は出来るだけ大勢に伝えたいと思うのはおそらく自然なことなのかもしれません。

さて、聞き手の機微を読み取れない話したがりの話し手は、サッカーの現場においては我々指導者、とポジションが仮に決まったところで聞き手は誰になるでしょう。

もちろん選手たちになります。

例えばミーティングやハーフタイムで、あれもこれも気づいたことを全て伝えてしまい、選手たちに“どの条件で”“何を”させたいのかを明確にしていない、がしかし、選手たちは元気よく

「はい!」

と返事をする、という現場を指導者なら一度は作ってしまったことがあるでしょう。

また、プレー中の選手に向かってベンチから解説者のように細かな支持をナレートする指導者と、絶対に聞こえていないのに、同様に元気よく

「はい!」

と返事をする選手を見かけたこともあるでしょう。

これらの「はい!」は言ってみれば主婦にとっての「なかなかできることじゃないよー」でありますが、問題はサッカー業界の話し手、職業病的な話したがりである我々指導者たちは、もう一方の主婦がリアクトした推定「偽まんざら」の「気配り返し」が出来ない人種であります。

「選手のニーズに合っていたか」

という文言がUEFAのライセンスコースを受講した時に教わった、日々の練習の振り返りのチェック項目にありましたが、その状況、レベル、タイミングに鑑みて発せられている「言葉」に関して私はいつも思い出すことがあります。

いつの何の試合だったかは定かではないのですが、数年前、日本代表選のテレビ放送で松木安太郎さんが解説席に入っていた時のことです。

こういう言い方をすると失礼なのですが、当時の私は松木さんのことを「監督をやっていたくせにサッカーを知らない明るい人」くらいに思っていました。
重ね重ね失礼ですが、現在もこう思っているサッカー関係者やサッカー通は実際多いと思います。

その理由は「画面を観て誰でも判断できることを言うから」、「すぐに精神論を言うから」、誤解を恐れずに言えば「サッカーを解説していないから」というものでした。

その日のピッチサイドのリポートには、後に監督業に就くことになる名波さんが入っていました。

名波さんと言えば、現役時代は海外でも活躍された誰もが知る名プレーヤーであり、引退後は指導者としての勉強をしている、ということがメディアを通じて当時知られていました。

根性論的な問題に対しても、心理学や脳の使い方に関する学術的なアプローチを試みそうな(実際にそうかもしれませんが)、サッカー全体を論理的に語れる人、というイメージを私は彼に持っています。

その名波さんが試合前の談話中に解説席の松木さんに対して、内容は全く覚えていないのですが、少し専門的なコメントを送り、それに対して松木さん自身にもコメントを誘うような構えを見せました。

私のその時の感想は「あーあ、名波さん、やっちゃった。無理だよ。松木さん、そんな難しいのに答えられないよ」という重ね重ね失礼なものでしたが、そこで松木さんは名波さんのコメントから窺える賢さを上回るくらいの知識と知見を披露し、的確なコメントを返したのです。

私の周りのサッカー仲間は代表戦を普段は観ないか、観ても私のように試合前からテレビをつけているほど暇ではないので、この話をしても誰も信じてくれません。
私自身もこの時を除いてそういったシーンに一度も遭遇していないので、ひょっとしたら何かの間違いだったかな、なんて半分ほど本気で考えることもありますが、間違いでないとしたら、松木さんは相当我慢強い「良い発信者」であることがうかがえます。

Jリーグが発足して30年近くが経とうとしているのに、代表戦を放映するメディアのターゲットとしている層はいまだに「初心者」です。
(これは方々で指摘されていて賛否が分かれるところでもあります。ほとんど“否”ですが)

もうちょっと視聴者を育てた方がサッカー界、ひいてはテレビ局の利益にも繋がるのではないか、と個人的な意見は話し出すと長くなるのでさておき、また、松木さん本人のサッカー界におけるポジションやサッカー解説に対する志もさておいておきますが、少なくとも松木さんは「地上波のサッカー初心者向けの番組での出演者としての一役割を完璧にこなしている」ということが、この名波さんとの会話と普段の「あえて」の仕事ぶりから推測することができます。

「選手のニーズ」を言い訳にして不勉強を正当化する指導者たちに嫌というほど出会いそれに嫌悪感を持ってきましたが、この松木さんの態度は「反対に問題を解決する素晴らしい知識を持っていたとしても、使い方を間違えたらそれがただの知識披露になってしまうこともある」という危険性を訓示していました。

などということを思い出していると、いつの間にか二人組の主婦はいなくなっています。

本日の“相席者(実際には隣の席ですが)”、仕事への集中力的にも娯楽的にも外れでしたが、いろいろと思いを巡る機会を作ってくれたという意味では大当たりでした。

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