指導現場の構造

 

 

私は以前、サラリーマンをしていました。

経営の上手さを評価されて経済誌に載るような、とある会社の経常利益の7割を稼ぐ屋台骨である主要部署の本部長という役職をもらっていました。

そこでの私の主な役割はキッズ世代のサッカースクールを作り、それらのスクールを受け持つ指導者達を雇って指導することでした。

サッカースクールの立ち上げ方などの細かな部分はここでは触れませんが、その仕事を通して私は早い段階で指導者の気質に関して気づいたことがあります。

それは指導者達の自己評価は総じて過大しているということです。

「○○のお母さんに、今日めっちゃ感謝された」

「△△のお父さんに、すごくほめられた」

「□□、俺のこと大好き」

保護者や選手からの直接の評価や感謝はもちろん基本的には嘘ではないでしょうし、指導者自身が推測する選手からの好感度もあながち外れてもいないでしょう。

ただし平均して20代半ばだったでしょうか、彼ら指導者陣の多くはそもそもその現場の性質上指導者は高評価を受けやすく批判を受けにくい構造になっていることに気付いていませんでした。

いわゆるモンスターペアレンツと称される一部は例外として、我が子が所属している組織に対しての苦情というものは保護者の方からしてみれば勇気が要るものです。

彼ら彼女らからしてみれば自分の子どもが人質に取られているようなものですから、担当指導者の機嫌を損ねるようなことはしたくありません。

そんな条件のもと、それでも時々父兄が結託をして強い態度で本部に苦情を訴え、担当の指導者の批判を並べることがありました。

ただしこれは担当指導者を交代させるのが目的の時です。

あるいは結託した「仲良しお母さんグループ」が足並みそろえて一斉に退団する前に留飲を下げる目的で行われる時。

いずれにしても最終手段であり非建設的な目的を果たすときに行使される手段でありました。

それでは一般的な保護者の方が指導者の教育方針やその実践に疑問を持った場合どうするのでしょうか。

大まかな順序があります。

まず現場の担当指導者に柔らかい言葉で「お願い」をし、それでも改善してもらえない時には本部事務所に柔らかい言葉で「進言」をし、らちが明かない時は上手な「事情」を考えて退団する、という流れです。

組織全体の質に依るところも大きいとは思いますが、少なくとも私が関わった十数年前の20代の若者たちの多くがこの「お願い」、「進言」、「事情」を不平不満や苦情とは解釈せず額面通りに受け取っていました。

そういうわけで、その当時私は彼ら若い指導者たちに

「自惚れるな。あなどるな」

という言葉をよく使っていました。

指導対象が老若男女問わずですが、指導者というものは一生懸命仕事をしている姿を選手やその関係者に見せやすい立場であるがゆえに、一人からも高評価をもらえない指導者の存在というものはなかなかあり得ない、どころか基本的には選手や保護者から信頼されやすいものです。

一方で不公平な扱いや暴力等による卑怯な行為が受動側に悪影響を及ぼすのはもちろんのこと、指導者のサボり(準備不足)やビビり(躊躇)、情熱不足やずるさといった細かな機微をも、指導される側は敏感に見抜きます。

自分自身のポジティブな(前向き、ということだけでなくプラス面全体)人間性やその言動にではなく、ネガティブな(受ける側が“ディモチベート”されるような)言動にこそ焦点を当てて慎重に指導しなさい、という意味においての

「自惚れるな。あなどるな」

でありました。

これもまた、自分自身にも贈りたい戒めの言葉であります。

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