前回の記事で書いたとおり、様々なタイプの個人が集まる集団の熱、色をそろえるには、当たり前のことですがそれ以前にその組織の熱と色を個人に示さなくてはいけません。
そのクラブ固有の信条などを明言化しておく必要があります。
学校の部活動だったら校訓を参考に作ってみるのもいいかもしれません。
ちなみに残念ながら校訓を蔑ろにしている教員は一定の割合でいます。
学校によってはほとんど全教員かもしれません。
これは会社員が信条、クレド、社訓と呼ばれるものを大事にしていないのと同じ状況と言えます。
中には覚えていない、知りもしないなんて人もいるでしょう。
しかし業績を上げ続けている優秀な会社ほどこの信条、クレド、社訓を全従業員隅々まで意識をしながらの業務遂行を徹底させています。
例えば私が以前勤めていた会社の、サッカースクールを作り子どもたちにサッカーを教える事業部のクレドの一つに「あいさつをする」というものがありました。
「うわ、100兆回聞いたことあるやつだ」と素通りするのが普通の感覚だとは思うのですが(実際私も入社当初はそうでした)、私が部下を持つようになり彼らに「これをさらに掘り下げたもの」あるいは「ここから派生した何か」がないか、というテーマでミーティングをしたところ
「あいさつするとき子どもと同じ目線の高さになるように立て膝をつく」
は序の口で
「『こんにちは、〇〇』のようにあいさつの後にその子の名前をつける」
「一緒に来た保護者の方も含めて、合計2回以上あいさつをする」
「他の子と話をしているときに別の子が元気よくあいさつをしてグラウンドに入りながらいろいろと話しかけてくると、ついついそっちの子に意識を持っていかれがちになるが、ひとまず挨拶だけかわして元々話をしていた子との会話に戻る」
などの細かいものも出てきました。
これはほんの一例ですが、これらが経営的な、あるいは道徳的な正解か不正解かを問うているわけではありません。
「あいさつをする」という超抽象的なお題目でさえ、掘り下げればそこには具体的な手法というか手順というか「取扱い方」のようなものがたくさん出てくるということを説いています。
そして多くの人間は具体的なものを好みます。世の中で売れている情報商材は学習手順が明確で具体的で再現可能で、体系化されているものばかりです。
0から何かを生み出すことより他人が作った成功例を模倣、踏襲することも好みます。これは自己管理のしかたを自分で考えて自分で実行することより他人にしてもらうことを好むというのに似ています。
故に「あいさつをする」は抽象的すぎる概念みたいなもので、 (入社当初の私のように)きちんと意識されてない、落とし込まれていない、納得していないといった言葉の独り歩き状態になってしまいがちです。
がしかし、本来クレドや信条と呼ばれるものはそれそのもので完成させるものではなく、あえて抽象度の高いものを掲げることによって「じゃあ、そのためにどうする?」「具体的に何をする?」というようにそこから派生する、あるいはそこにつながる考えを生み出させる役割を持っているものだと思います。
信条の話が長くなりましたが、個人の熱や色をそろえたいのであれば、まずは一組織(学校のサッカー部など)の管理者になる指導者たちがその上の組織(学校そのもの)の信条をきちんと理解して落とし込んでいる必要があります。
そこで初めて自分たち(サッカー部)の(原則的には)変わらぬ信条を掲げることができ、それを用いて選手を教育的指導することができるわけです。
この教育的指導には入部前の説明も含まれます。
例えばクラブが成長意欲の高い性格を持っていて信条もそれを表しているものであれば、前回の記事で書いた「①そもそも自由な時間に自己成長なんか求めていない。仕事はやりがいや自己表現ではなくただのノルマとして捉えていてそれ以外の時間は娯楽にしか費やさない」タイプを極力拒否することができます。
「②成長したいという気持ちはあるが、怠け癖があるので自分では自分を律することができない。努力がおろそかになる」タイプに関しても最初に成長努力を約束させることができます。(がしかし約束したからできるようになるわけではありません。技術的介入が必要です。これは後述します)
念のため断っておきますが、この①と②のタイプを悪いと言っているわけでも優秀でないと言っているわけでもありません。
指導者の中には説明会やミーティングの中で「夢を持って努力することは素晴らしいこと」と明言して組織の指揮を高める人もいますが、私の場合は正直に「偉くもなんともない」と言ってしまいます。
「幼稚園の頃から『幸せはみんなで分け合いましょう』と教わってきたくせに我々は毎週末に勝ち点を奪い合うGreedyな(がめつい)人種だ」とさえ言ってしまっています。(「だからこそ日常生活では…」という話に結び付けやすくもあるのですが)
人生観もそうですがスポーツ一つの扱い方も人によって様々です。年齢によってもいろいろな傾向があります。
実際私もここ数年は、競技スポーツとして激しいトレーニングをも厭わない向上心満載のクラブで指導していますが、過去にはエンジョイ目的やお友達づくりを主な目的としたサッカースクールで指導していたこともありました。前述のスクールのことです。
年齢的には下は一歳半のよちよち歩きから上は50代のママさんチームを教えたこともあります。
教え子の中には多動性や広汎性の障害を持つ子、自閉症や半身不随の子がいたりしましたが、彼らがサッカースクールの時間を一番の楽しみにしているという話を保護者の方から聞いたり(中には涙ながらに感謝してくれるお父さんお母さんもいました)、実際楽しそうにしている彼らの顔をグラウンドで見ることは、私にとっては競技スポーツとして捉えている教え子が目標を叶えてリーグ優勝するその瞬間を見ることと同じくらい幸せなことで、そしてそれらを同じくらい尊く思っています。
つまり組織の色を明確にすることによって入ってくる人材を選別する、入ってきた人材を教育する、という手段に優劣の区別の要素はなく、これは利便性に鑑みているだけの話です。
私も最大では200人を超える部員数のいる高校サッカー部で指導に当たったこともありますが(その時の指導者の数が私を含めてわずか5人。このような状況は、いや、これよりもよくない状況は日本中どこにでもあるのではないでしょうか)200人それぞれがクラブ活動というものを自由な扱い方で、そして自由な態度で行動していたら大変なことになります。
やはりある程度の方向性と組織の体質を示しておく必要があります。
そしてそれを示していてもやはり色々なタイプの人間が入団してきます。
それより上の組織(学校そのもの)の方針によりセレクションを設けていないチームにはよくあることです。
②の「怠け癖」タイプが入ってくるのは当然のこと、①の「別に成長したくない」タイプが「成長体質組織」に間違って入ってきてしまうこともあります。
企業ならば利益追求、生産性追求のために解雇することもできるでしょう。(それももちろん簡単なことではないと思いますが)
しかし、ことスポーツクラブとなると学校の方針がどうこうだけでなく、道徳的観念から見てもそれがなかなか難しいものであります。
一度関わったからには本人のためにもやはり自分の組織で成長させたいと思うのは指導者として自然な反応でしょう。
この段階では対話による説得で個人を組織の体質に近づけるより、あるいはルール化によるさぼれない仕組みづくりをするより、まずは本人の性格を本人に分析させる方が効果的です。
いわゆる「自分の好きな心の状態、感情はどんなものか」というものです。
この「心の状態、感情」には「向上心」「達成感」「充実感」「一体感」「自尊心」といった単語に置き換えやすい明確なものから、「一人気ままに海辺を歩いているときの感じが好き」といった抽象的なものまであります。
これらの心の状態を、抽象度を無理に下げて解明する必要は必ずしもありませんが、例えば「お風呂の時間が好き」などの背景には
「身も心も癒されたい」
↑
「その前に身も心も疲れさせたい」≒「身も心も充実させたい」、「つまり充実した生活が好き」
という理由が隠されている可能性をひも解く逆算が必要な場合があります。
いずれにしても、これらの自己分析には当然心に素直に従う必要があり、指導者の人柄によっては選手がそれを申告することが正直な自己分析の妨げになることもあります。
それを指導者自身で感じているなら、その「自分が好きな感情」が組織の信条、理念に沿っているものかを選手自身にセルフで判断させてもいいかもしれません。
そこでやはり選手自身が判断して「この組織では自分の幸せを実現できない」と思ったのなら、そこは指導者がその選手を開放するタイミングです。
ここでもまだ「一度関わったからには本人のためにもやはり自分の組織で成長させたい」と思うのは指導者のエゴです。
転職における会社員とその上司との関係に置き換えると分かりやすいでしょう。
そしてどの感情が好きであっても、指導者、選手自身、あるいは両方がこの組織で頑張ることが双方の利益になると判断したとき、その選手の目標も組織の利益になるように誘導してあげる必要があります。
向上心や達成感が好きだ、という選手なら何も考える必要はありません。
本人の選手としてのスキル向上がそのままチームの利益になります。
そしてほとんどの選手がこれに当てはまると思います。
しかし例えば「よく考えた結果、人との競争はあまり好きではない。どちらかというとみんなと一緒に何かをやる楽しさが好きだから部活に入った」という選手がいたとします。
ここで「じゃあうちのクラブには向かないね。さようなら」とするのは早計です。
選手としての活躍以外にも本人が輝ける機会というのは、特に資金が豊富なわけでもない、よって人材が豊富なわけでもない学校の部活動のような組織にはたくさんあります。
分析や試合運営、審判、マネージャー業、指導アシスタント等、選手と兼任しながらでもできることもたくさんあります。
もしそれらの何か一つでも本人が魅力を感じ、やりがいを持てるのであればしめたものです。
その選手の目標の欄に選手としてのものだけでなく、運営者側、スタッフ側としてのものも書き込むことができます。
組織の競技的(競争的)目標の達成に運営側、スタッフ側として貢献し、喜びを得ることができます。
まずは組織の性格、体質を個々人に示すこと。
個人の「心に素直な好き嫌い」を自覚してもらうこと。
お互いの利益になるとお互いが判断したら、その個人の「好きな感情」を得るための具体的な目標設定をすること。
まとめるとこういった手順になります。
さて、目標設定はできました。
その目標を達成するための行動計画が必要になります。
その行動に期限はあるでしょうか。
それとも頻度があるでしょうか。
(つづく)