教育のトピックにもう何年も前から上がってきている使い古された常識に「子供はほめて伸ばせ」というものがあります。
おそらく成人の日本人で、理論と呼ぶことすら仰々しく感じるこの考えを知らない人はいないでしょう。
20年以上前に初めて聞いたときには目から鱗の革新的な手法(本来は理念といったものに近いと思います)に感じましたが、今ではすっかり子どものみならず組織で働く企業人をもモチベートするための原則のような扱いをされています。
更にはそのほめ方や頻度、タイミングにまで焦点を当てられ、育てる側の負担が大きくなった印象を受けますが(いいことです)、この「頻度」というキーワードから窺えるとおり、ただ闇雲にほめるだけの、言い換えれば優しいだけの、言葉を悪くすれば甘いだけの接し方では良くない、説教も必要、という今更な原点回帰も重視されています。
これはサッカー指導の現場の「選手の自主性を伸ばそう」という考えと「選手は調教するのが手っ取り早い」といった考えの関係に、道徳的には全然ですが、割合や手法的に関しては似ています。
また、教育に関することのみならず、何かを人に伝達するとき、お願いするとき、もちろん指導するときもですが「○○するな」「○○してはいけない」という言い方をしてしまうと、その「○○」に脳がフォーカスしてしまって逆効果になってしまうという、これもまた何年も前から教育の場で語られている考えがあります。
英語にすると分かりやすいかもしれません。
「Don’t be noisy!(うるさくするな!)」
と言ってしまうと脳は勝手に“Don’t”を取り外してしまい
「Be noisy!(うるさくしろ!)」
と言われたかのごとく振舞ってしまうということです。
この話はダイエットの例に用いられることが多く、話としても分かりやすいですが
「今日は食後にお菓子を食べない」
と自分に言い聞かせると食後のお菓子のことばかり考えてしまうから逆効果だということです。
これに関しては他者への伝達やお願いや指導ではなく、自分自身の意思に関する話でもあります。
サッカーで例えれば、相手のプレッシャーを心理的に受けやすい選手に対して「慌てるな」と選手に言ってしまうことが、その選手を慌てる方向へと誘導してしまいます。
というわけでこれらのことを他者にも自分自身にも言いきかせたいときにはそのフレーズの言い換えが必要になります。
「Don’t be noisy」だったら「Be quiet」にするなど対義語があれば簡単ですが、「お菓子を食べない」に関しては、言葉を探すのではなくお菓子を食べないようにするための具体案が必要になってきます。
私自身も計画表活用の初心者だったころ、禁止したい事項に対して
「『○○をしない』という否定形ではその○○に脳がフォーカスしちゃうから『○○を減らす』『○○を抑制する』って書くのがいいかな」
と考え、そのとおりに実行していましたが、お気づきのとおりその文言に「○○」という単語が入っている時点で意識はそこに引っ張られてしまいます。
つまりお菓子を食べないようにしたいのであれば、「お菓子の摂取を控える」といった文言などではなくそれに代わる「食後もお腹をすいていたらフルーツを食べる」などの案を用意した方が生産的だということです。
さらにはお腹がすいているかの確認を食後すぐにするのか、何分か経ってからするのか、あるいはその満腹感を感じやすくするためにそもそも食事にかける時間をどれくらいにするのか、またお菓子を食べたいときには食前などのタイミグや午前中などの時間帯を考慮する、とか、この手の学習と自己検証と分析もすると、よりお菓子の抑制に効果を期待できます。
ここら辺は以前の記事にも書いたところであります。
スポーツ指導の「慌てるな」も同様、指導者の皆さんはそれぞれの言葉を持っていると思いますが、私の場合はただ単に反対の「落ち着け」だけでは選手たちが落ち着かないことを知っているので、横隔膜を下げさせるための指の使い方など、体からのアプローチをアドバイスすることもあるし、また以前の記事で書いたように「エロいことを考えろ」と伝えることもあります。
と、ここまでもっともらしいことを書いてきましたが、今回の記事で伝えたいのは「叱るより褒めろ」「調教より自主性」「否定より肯定(的具体例)」の3つの例で悪者扱いされた側の話です。
長い前置きが続きましたが、ひるがえって本題は短いのでもう少しお付き合いください。
「調教と自主性」のところで“割合”という言葉を使って示唆したとおり、叱ることも調教することも否定形を用いて我慢することも、これら自体は絶対悪ではありません。
これを主体にしてしまうと非効率になる恐れがあるということです。
脳に関する本をたくさん読んできたくせにその専門的名称を覚えていなくて申し訳ないのですが、例えば何かを「やりたい、やろう」「手に入れたい、手に入れよう」とするときに働く脳の分野に対して、何かを「我慢したい、我慢しよう」とするために使う脳の分野は進化上歴史が浅く、この効力が弱いと言われています。
ダイエット中に「お菓子を食べたい」という目的を叶える脳(Do脳)の方が「お菓子を食べない(我慢する)」という目的を叶える脳(Stop脳)よりはるかに強いということです。
なのでストップ脳を使わせるような働きをできるだけ避けましょう、というのがここまでの解説でもあり、一般的に世に広まっている考えでもあります。
とはいえ、ストップ脳を全く使わないで目標を叶えることはまず無理です。
これはダイエットやスポーツなどの”プロジェクト”に関してだけでなく日々の生活の小さな目標達成ですらそうです。
我慢や否定とは言ってみれば「気力」のようなものであり、この「気力」は「決定疲れ」に関しての文脈によく登場するものでもあります。
気力を減らしやすい「決定」を日課からできるだけ減らしましょうという考えですが、同時に気力そのものを増やす訓練の大切さを説いている意見も多くあります。
これはスポーツにおける体力の考え方と似ています。
試合のために前日などには体力をセーブしなくてはいけないが、当然のことトレーニングで体力をつけることも必要である、といったどんな指導者でも知っていて実践していることです。
これを先ほどのストップ脳に照らし合わせると、気力を減らさないためにストップ脳をできるだけ使わない仕組みを目標達成のために用意したいところだが、一方でその“用意”に甘えることなくそのストップ脳を使った「我慢」「ド根性」で解決することも時にはしないと、目標達成しやすい体質になりませんよ、となります。
以前の記事でいかにして書くことによって目標達成をするかについて長々と述べましたが、一方で上手くいっていないときにすぐに計画表や日誌などのフォーマットそのものに間違いがあると思うのではなく、精神論で解決することも一定の割合で必要だということです。