スポーツ解説者の役割

 

 

 

先日、久しぶりにスポーツバーでサッカーの試合を観ました。

有料チャンネルによるJリーグ観戦です。

 

この情勢下におけるスポーツバーの状況を知っておこうと思ったから、と言えば聞こえがいいですが、主な動機は息抜きです。

 

入店前の検温やテーブルごとの仕切り、話し声が大きくならないようにするためにテレビ音声を下げている配慮、禁止事項などのお願いを試合前にアナウンスする姿勢など、店側に対して非常に好感を持てました。

 

マナーをきちんと守りおとなしめに盛り上がる各テーブルのお客さんたちにも好感を持てました。

 

しかし私はその試合放映の90分間の間、ずっと違和感を持っていたことがあります。

 

他の観戦者と私の胸中とでは盛り上がるポイントが全く違う、というものでした。

 

彼らの盛り上がっているシーンに対して

「いや、そのパスは絶対に通らないよ」

「そのプレス方向を受けながらそっちの足でその選手の裏にパスを出したら相手GKまで届いちゃうよ」

と冷めた目で見ていたり、反対に誰も何も反応していない場面で

「うおっ!よく今の振り向いたな!」

「うわっ!もう閉じられた」

等々一人で興奮したりしていました。

 

この手の話を指導経験や分析経験が長い者が語ると、どうしても上から目線に映ってしまいがちですが、そこに優劣の意図はないということだけご理解ください。その理由もおいおい説明します。

 

思えば昭和50年代生まれの私は他の多くの同世代男子と同じく、幼年期から二十歳くらいまでプロ野球中継というものをさんざん見てきましたが、そのテレビ観戦において「経験者からしたらどうしようもないところで盛り上がっている」という初心者側の立場に立ったこともあります。

 

ある日、私は高校野球経験者とプロ野球中継を観ていたのですが、当たりのいい球全てにいちいち反応していた私とは対照的にその経験者の彼は

「いや、これはファールにしかならない」

「いや、これはセンターフライ」

とバッターが打った画面から引きの画に切り替わる瞬間くらいには冷静にコメントをしていて、実際の結果も当てていました。

 

「なんですぐに分かるの?」

と聞くと

「この球種でこのコースでピッチャーがどっち投げでバッターがどっち打ちだと打球は大体こういうふうになる、というのがあるんだよ。パターンはたくさんあるけど」

と説明してくれました。

 

なるほど。今思えばゆうに100試合以上野球中継を観てきた私を永遠の野球初心者にたらしめた原因は野球解説者が初心者である私をきちんと育ててくれなかったことにあるのか、とすることもできるのですが、実は今回考察したかったのはこの部分のところです。

 

Jリーグが開幕してから丸27年が経っている現在、地上波でも有料チャンネルでも、その多くの試合でJリーグ開幕1年目のころと似たような解説をしています。

 

昨年、自国開催で大いに盛り上がったラグビー放送の作り方(テロップによるルール解説など)や解説者の説明はあれでよかったと思います。

私も含めラグビー観戦初心者が地上波で(無料で)娯楽で観るコンテンツのつくり方としてはあれくらいがちょうどいいという感想です。

 

それと比べてF1に関しては新しいファンを取り入れようという意気込みが見えてきません。

つまり初心者に向けたコンテンツ作りができていないということです。

 

昨今のテレビ事情に私は疎いのですが、20年位前の深夜枠にはしばしばF1が組み込まれていたということを覚えています。

何と無しにチャンネルを回すとよくF1に当たるので、一度じっくり観戦してF1好きになってみようかと試みたこともあったのですが、同じところをぐるぐる回るあれは、順位すら分からずピットインでの作業がタイムに計上されているのかどうかも知らず(これを知ったのは割と最近)10分ほど観たところで諦めてチャンネルを変えてしまいました。

 

ラグビーのような初心者向け過ぎない、がF1のような初心者を置き去りにしすぎないちょうどいい業界は無いものか、と思ったところ、ありました。

 

お笑いです。

 

もちろん我々素人では知り得ない無数の技術的な仕掛けがコメディーの全てのジャンルにはあることでしょうが、その笑いにはこの背景がある、というような説明を、視聴者にプロの凄さを知らせるその上手さを、ここ30年くらいのお笑い業界は見事に披露しています。

 

マンガで言うところの“楽屋ネタ”に通ずる部分がありますが、いわゆるお笑い用語であったり笑いの仕組みであったりを、プロが素人を笑わせるための場(テレビ番組)そのもので、素人になぜ面白いかを解説しているところをしばしば見かけます。

 

それのおかげで素人に笑いの知見を深めさせ、プロが面白い(やりたい)と思っていることを素人にも面白いと思わせることを試みているかのような背景まで想像すると、奥行きを知ったおかげでより多く笑うポイントを見つけられるようになった視聴者と、自分の笑いの面白さを理解してもらえるようになった演者はWin-Winの関係に見えます。

 

そしてその解説自体でもまた笑いを取れているのが見事なところです。

 

とはいえそれが行き過ぎてしまっている感のある場面もしばしば見かけます。

一部の賞レースなどで、面白さやバカバカしさよりも技術的な上手さを重要視しているように見えるときなどです。

 

「甘い」と「苦い」しか感じられない舌よりは、様々な味覚や舌触りを敏感に捉えることができる舌の方が食事は楽しめるに決まっていますが、一方で料理の美味しさよりも素材の良さや調理の巧みさを延々と語られるとしらけてしまいます。

 

これは文学にも芸術にも言えることです。

というより「好き嫌い」が介在する世の中の全ての事象に言えることです。

 

もちろんスポーツも例外ではありません。

「戦術的、心理的な背景とかはどうだっていいんだよ!どんな形でもゴールが決まるなら盛り上がるし、何よりチームの勝利を俺は見たいんだよ!」

という感情も理解できます。

 

私自身日本代表戦などを付き合いでスポーツバーなどで観るときには戦術がどうとかあれこれ考えずにみんなと一緒にバカ騒ぎをします。

 

玄人と素人の物の見方に優劣の差はないと言っているのはこの部分のことであり、ちょいちょい聞く“にわか”ファン批判も私は持っていません。

むしろ“にわか”は“にわか”で重要な役割を果たしているとさえ思っています。

 

JFAが掲げる百年構想云々の話のことではなく、スポーツに限らず一つの業界の発展を望むとき、狭角的にマニアだけが望むような村社会的な楽しみ方は、その目標達成の足を引っ張ると思っているからです。

初心者だろうが素人だろうが“にわか”だろうが、多数での盛り上げが必要です。

 

にもかかわらず今回私が解説のずさんさに違和感を持ってしまったのは、その試合が有料チャンネルであったことと、代表戦などではなくJリーグのただの一試合であったからです。

 

つまり特別なイベント的なバカ騒ぎ用の試合ではなく“日常”の試合を、お金を払って観ている人のための試合だったということです。

 

自国のリーグをスタジアムで観戦するファンや、わざわざ視聴料金を払ってまで観戦に勤しむファンを私は勝手に日本サッカーを支えてくれているコアなファンだと思っているのですが、にわかも一緒に楽しむ代表戦のような試合がある一方、コアなファンがわざわざ見てくれるような試合には、きちんとした解説をつけて彼らのサッカー観や戦術眼をもっと育ててもいいのではないかと思うのです。

 

2、3種類の味覚しか持っていない舌より全てを感知できる舌の方が料理を楽しめるに決まっています。

そのうえで「理屈は要らねえんだよ」スタイルで物事を楽しむか否か選べる状態になれる方が、私が彼らコアなファンの立場だったら嬉しくなるはずです。

 

外国語のリスニング能力を鍛えるとき、聞き流すだけではリスニング能力は効果的には上がりません。

既に自分が理解できているレベルのものを「多聴」という手法でたくさん聞き流すのは、そのレベルを固めるためには有効です。

 

が、これではまだ不十分です。

レベルを上げたければ「精聴」といって、知らない単語や知らないフレーズを集中して聴くことも必要になります。

知らない言葉が出てくるこの「精聴」には、当然日本語訳の正解を知るためのスクリプトが必要になります。

これを無しにして精聴を続ければ不正解が固まって聞きます。

スポーツにおける「下手が固まる」と同じ状況です。

 

かつて私がFAに言われた「間違ったフォームでいくら素振りをしてもゴルフは上手くならない」と同じ理屈です。

 

このリスニング練習におけるスクリプトが、テレビでのサッカー観戦においては解説者の解説に当たるわけです。

 

誤解を恐れずに言えば、視聴者を永遠の観戦初級者レベルに閉じ込めたまま彼らの興味を続かせられるほどサッカーは面白いスポーツではありません。

 

私自身が小学生だったころサッカーのテレビ観戦は前半の45分も持たずに、むしろ見るのが好きなのは「ゴール特集」や「スーパースター列伝」のような目鼻立ちのいい場面だけを切り取って作られたビデオの方でした。

 

子どもの好き嫌いは実に素直なもので、その後指導者になった私はクラブのレクリエーションで小学生の選手たちをスタジアムに連れて行ったことがありましたが、そこで試合観戦をしたときの彼らの反応も私の小学生時代のものとほぼほぼ同じで、前半のうちからガラガラのスタンドで鬼ごっこ的なものを始めたりしていました。

 

つまり現在の状況は、今まさに全国のスポーツバーで、あるいは自宅のパソコンで、指導者や分析家のようなサッカー関係者でもないサポーターたちに、製作者サイドが我慢を強いているということです。

 

私がその立場の人間なら解説してほしいのは

「バランスが取れてますねえ」

「守備を集中してやってますから入り方としてはいいのかなと思いますね」

「今はどちらかというと○○ペースだと思いますね」

とかいう抽象度が高いものや、ただの感想や、あるいは誰が見ても明らかなことではありません。

 

例えば

センタリングまで至ったプレーの経緯にアンダーラップがあったこと

アンダーラップが成立しやすかった背景にはCBとFBが間を空けていたこと

そこから推測できる背景には守備側のチームは2列目から飛び込む攻撃選手はMFが捕まえるという約束事があったのではないかということ

そして似たようなプレーが2回以上あったらそれが訓練されたプレー(チーム戦術)である可能性が高いこと

 

私だったらこういうことを教えてもらってサッカー観を深めたいです。

 

100試合以上見た野球観戦能力がちっとも上がらなかった私自身の実績から鑑みると、そもそもそういった込み入ったことは瞬時の解説では難しいのでは、という疑問があるかもしれません。

 

野球に関してはその可能性がることを認めるものの、同じ有料チャンネル内のヨーロッパのリーグ戦等を担当する解説者の中には、我々サッカー関係者が聞いても非常にありがたい情報をくれる方もいます。(その数も少数ですが)

 

つまりサッカーに関してはそれが不可能ではないということが立証されています。

あまり度が過ぎるとF1のようになってしまいますが、解説者にきちんとした力量があればその調節は可能なはずです。

 

ハーフタイムを利用して解説することもできます。

大人の事情もあるのかもしれませんが、既に定期購読をしている視聴者に向かって自コンテンツを公告するよりも、視聴者のサッカー観を高める方が中長期的に見れば有益だと思うのですがどうでしょう。

 

サッカーファンの熱意と好意と善意に甘えず、メディアはきちんと努力すべきだ、ということを改めて考えたスポーツバーでの体験は、私に息抜き以上のものを与えてくれました、というお話でした。

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